日本の歴史 時代別!学び方・学ぶ内容は変化している?!!

勉強って何のためにするの?

皆さんがやっている勉強!

日々、「何で勉強なんてしなくちゃいけないの?」「勉強なんてしたくないよ」

と思ってはいませんか?

よくこんな質問を受けることがあるからです。

永遠のテーマではありますし、人によって勉強の意味は違います。今日は歴史的な観点から勉強について少し考えてみませんか?

中国から入ってきた仏教

日本古来の宗教は、神道でした。

仏教は、古墳時代(6C)に中国(隋)から入ってきた文化でした。

主に、蘇我氏は仏教を信仰し、

神道VS仏教

の構図が飛鳥時代に繰り広げられることとなります。

仏教は昔、貴族の学びだった

飛鳥時代~奈良時代にかけて、

飛鳥文化、白鳳文化、天平文化というように仏教を主体とした建造物が立て続けに完成していきました。

法隆寺や東大寺などもその一つです。

しかしながら、

昔は、仏教を信仰していたのは貴族だけで庶民への布教活動は禁止されていました。

奈良時代になると、『行基』に布教活動により庶民に伝わると、

庶民の中でも仏教を信仰する人たちが増えることとなったです。

そもそも貴族と庶民という格差は、いつから始まったのか?

そもそも、格差っていつから生まれたのでしょうか?

歴史をさかのぼっていくと、弥生時代になります。

縄文時代から弥生時代にかけて、稲作が行われます。

昔は貨幣というものが存在しませんでした。基本は物々交換。

お金で物を買うというより、稲の生産力があるかどうか。

そこに、地主と雇われる側が発生したことにより格差というものは生まれていきます。

生きるための暮らしがメインだった

昔は、

稲が生産できない=死

ですから、生きるためにはまずは農業をするというのが主流だったのだと思います。

公地公民制がしかれたことにより、

貴族は、働かずに税金(稲など)を徴収する側

庶民は、働いて税金を納める側

という構図が生まれてきました。

農業が主流だった時は、小さい子供たちも働き手

農業が主流だったころは、

現在の小学生くらいの年頃でも貴重な働き手として扱われていました。

『働かざる者、食うべからず』

という言葉は、この頃できた言葉なのでしょうか。

寺子屋の出現

以前のコラムにもありましたが、

江戸時代においては、子供の教育をするのはお父さん。お母さんの母性というものは存在しておりませんでした。

1690年くらいから、漁村や農村へ寺子屋が浸透し始め、

19世紀(江戸末期)には、16560もの寺子屋が全国に広がり、学校へ行って勉強をするという考え方になりました。

ちなみに、寺子屋という呼び名ではなかったので、興味がある方は調べてみてください!

 

内容は?

そもそも、士農工商がしかれていましたから、

  • 百姓なら百姓のための勉強内容
  • 商人なら商人の勉強内容
  • 武士ならば武士の勉強内容

というように、学びは自分にとって必要なものを選択する形となっていたようです。

今とはすこし学び方が違っていたのだと思います。

 

明治時代になると、小学校教育がスタート

1871年になると、江戸幕府が滅び明治維新がスタートしていた。

明治政府の富国強兵のスローガンもあり、

6歳以上に小学校教育を与えるという教育がスタートします。

今のような学習スタイルとなり、小学校教育が義務化されます。

当時の内容はこちら

主に、読み書きや算術といった内容。

現在の小学校とどことなく似ていますよね。

国を強くしていくために、全員に一定の教えを説くという方向性に変わっていったのだと思われます。

戦後の日本

教育基本法が定められ、

現在の小学校・中学校義務教育9年が成立します。

国語、算数、理科、社会というような現代の形になったのは、この頃から。

これは誰もが知っていることですね。

何のために学ぶ?

社会人になると、与えられて学ぶ機会がなくなっていきます。

主体的に学ぶしかなくなってきます。

自分から学ぶ姿勢がない人は、会社の中でも淘汰されていきます。

学校での学び方と社会に出てからの学び方は真逆なのです。

結構、そういう意味では学びの方法が矛盾しているわけなのですが、

一定の学力向上という意味では、

文科省が定めている教育の形は、正解なのかもしれません。

あなたにとって、今必要なこととは?

多くの成果を出せていない子供たちに共通することは、

『自分に必要なものを理解できていない』

という点です。

目標もなければ、夢もない。

これはある程度仕方がないとして、

『自分のなりたい姿が描けていない』

ここに問題点があると思っています。

やりたいことに何でもチャレンジは間違い

やりたいことリストを作って、何でもやってみる

私はこれは間違っていると思います。

私が子供たちに指導するうえでまずやることは、

『自分はどうなりたいの?』

からやるようにしています。

なぜなら、

やりたいことリストの中に、『ゲームをする』とあったとしましょう。

さらに、

自分の目標がテストで100点を取るだったとしたら、

このやりたいことリストは、正解なのでしょうか?

なりたい姿を描かないから、やりたいことが決まらない。

昔の偉人は

『こういう人間になりたい』という理想像を掲げていたように思います。

生きるか死ぬかの最中、時間を無駄にできない。

だから、自分がやらなくてはならないことを決めて、最優先事項を最優先していたのだと思います。

今日からできること

『どうなりたいか?』を決めましょう!

可能性は無限大。

自分がなってみたい姿をまず描くことから始めましょう!

 

 

 

 

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